シン・エヴァンゲリオンの解析

 *この文章はネタバレを含めます。みたくない方はスキップをお願いいたします。以下、過去記事です。また、まなめさんがまとめてくださったものを貼っておきますので、文章でストーリー展開を読みたい方はそちらに飛んでください

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 ゲンドウはアダムだった?

 拒絶反応なく13号機に乗れるのは何故か?他でもないシンジの父であり、ユイの夫であるからだ。そこにあるのは、性行為であり、性行為でのみ人は人として魂を持てる。いくら形だったり、入れ物があってもダメなのだ。そして、その魂は個体であり、同じものは二つとない、人が人に惹かれあう理屈が通る。より優秀な遺伝子を欲するなら、それは本能性と言われるものに近い、だけどゲンドウは人を捨て自らが神になろうとし、禁忌を犯しまくる。それが、ユイの意志とは真逆のものとは気づかずに。だから、ゲンドウは狂っていく。一種のアル中に近いものがある。言ってることが訳わからない、正常な判断ができない状態。だから、アルコールを飲んでの車の運転や機械の運転は厳重に禁止されているし、罰則も懲役もある。現にアルコールで重大な交通事故を起こした例は後を絶たない。アルコール運転ダメ、絶対。

 

 何故、ユイの意志に気づけなかったのか?

 恐らく、ゲンドウもシンジも心を閉ざし「引きこもり」の様な状態だった為、劇中、シンジがなんだ父さんも僕と同じだったんだね」と優しく微笑むシーンがあるが、そこで初めてシンジはゲンドウを理解し、ゲンドウを超えた瞬間だった。ゲンドウの思いはただユイに会いたいというその一心のみ。最後にそれに気づいたゲンドウは「お前に教えられるとはな」的な言葉を吐く。そして、ユイの元に逝く。

 

 庵野監督の苦悩と執念

 庵野監督には絶対的な師がいる。宮崎駿監督だ。庵野監督はどうしても駿を超えたかったんだろう。だけど、存在がでかすぎる。圧倒的でもある。敵わないと諦めたこともきっと少なくなかっただろう。だけど、その葛藤がシン・エヴァンゲリオンだったり、シン・ゴジラだったりと昇華しているのは、駿引きずりあげたのはまず間違いないが(ジブリの名プロデューサー鈴木敏夫の存在も大きい、また風立ちぬの主人公:吾郎を演じたのは庵野監督である)

 

エヴァンゲリオンのベースにあるもの 

 心理学、物理学、応用物理、生物学、医学、近未来科学、化学、クラッシックへの造詣から音楽、他に参考にしているものがどれほどあるだろう。庵野監督は今、どの次元にいるのだろう。

 その上でメッセージとして私が映画から受け取ったのは

  1. 進化の手は緩めてはならない。
  2. 戦争を繰り返してはいけない。あれは狂人を作り出す。復讐からは何も生まれない。
  3. 人類は多くの犠牲の上で成り立っている存在ということを忘れてはならない。セカンドインパクト=第2次世界大戦と考えることもできる。
  4. 人類の叡智は「書」にある。本を読め。
  5. 「書」だけではなく、「画像」として進化したことを示した。
  6. テーマとして根底にあるのは生命の神秘と、何があっても「生きろ」という強いメッセージ。

まあ、死と再生の物語なのだろう。

 物語として

 物語は起承転結が基本中の基本。エヴァシリーズはTVアニメ版が起~承(漫画版も承で完結、最終回~Qまでが転、シン・エヴァで完結という完璧なシナリオ、伏線の回収率は鳥肌もの。庵野どこまでが計算なんだ…。物語としてパーフェクト。だから、ドキドキハラハラするし、涙もでる。夢中になるんだろう。ただ、この話は宗教的な話を多分に孕むので、キリスト教無宗教の人は楽しめる。だけど、他の宗教を信じている方はお勧めしない。また、現実にインパクト=戦争が起きてしまう。また、特に統合失調症や他精神疾患が重い人にはお勧めできない。それこそ自我が崩壊して自殺とかもありうる話。救済の話ですが、黒き月=死後の世界にいってしまう…。

 

AIの可能性 

 大切な人を亡くして立ち直れない人はAI(人工知能)を搭載した亡くなった方に似せたプロトタイプを作ることは技術的には可能なはず。オリエンタル工業などは実際に開発されているのではないか?

 ただし、不法投棄されたり、処分に困るといった問題を抱えていると思うし、私感だが、倫理的にどうなるのだろうと思う人いるとは思う。私は少なくても亡くなった方と聞いていた方と聞いていた方のプロトタイプと言われたらびっくりする。皆さんも違うだろうか?勿論、進化の可能性という意味では、人はではないので、びっくりする。だが、発売されたら、介護問題は一気に解決すると思う。

 

 少子高齢化社会している現代社会において、避けては通れない問題だろう。

それを物語と技術を通して、隠喩をつかい、禁忌をつかい、生命の神秘に触れ、これからの可能性を示した功績は大きい。

 

以上です。長々とありがとうございました。

シン・エヴァンゲリオンの分析

「この記事はネタバレを含みます。見たくない方はスキップをお願い致します」

 

 

昨日で書ききれなかったので、私なりの解釈を続けさせてください。

 

カニバリズムの禁忌

 カニバリズムとは?

 ”キリスト教の倫理観から外れた蛮族による食人の風習。正しくはギリシア語のアントロポファギアに由来するアントロポファジーが忠実。

 死者への愛着から魂を受け継ぐという儀式的意味合いがある。すなわち、親族や知人たちが死者を食べることにより、魂や肉体を分割して受け継ぐことができるとされるが、プリオン病(脳がスポンジ状になり、死に到る)を引き起こすことが医学的に判明している。

 胎盤は健康や美容のために食されたり、医薬品としても加工されることもある。最近の研究で栄養価として、人肉は優れたものではないとも証明されている。

 聖書ではレビ記旧約聖書)で、「神に逆らい続けるなら処罪として、病や敵からの敗北、不作や野獣による荒廃の後、ついには自分の息子や娘の肉を食べることとなる」と厳重に警告されている。また、ヨハネによる福音書第6章53節と54節にも似たような記述がある。”(以下、Wikipediaより)

 

劇中でマリがエヴァ量産機を、食べ、戦闘によって失った左手を回復するシーンがあるが、これは裏世界(黒き月)では回復の手段とされる。マリは恐らく書物からそれを学んでいた可能性が高い。すなわち、禁忌が良しとされる世界である。

 

要はDNA解析によって作られたクローン→死者の再生と考えられる。但し、個体はあくまでユイのクローンであり、魂が適合しないため、自我の目覚めで溶解してしまう。レイのそっくりさんが溶解してしまって、シンジが覚醒したのはそっくりさんがレイの魂を拒絶したからと推測する。

 

・13番目の使徒エヴァ13号機)

 言わずとも13番は裏切りのユダの番号とされる。但し、ユダの番号は12番であって彼が裏切りの末死んだために、マティアが新しい12番目の使徒になった(正史)が、一説にはユダは13番にカウントされることもある。

 キリストを持って、「生まれなかった方が、その者のためには良かった」とまでキリストに言われている。ユダの最後は首吊り自殺である。

 ゲンドウはすでに人に非ざる者に成り下がっており、本人は自身を神という。実際、リツコに頭を撃たれても死なずに回復する。ゲンドウはユイの死を受け入れることができずに、禁忌を繰り返すことでユイを復活させようとしているのが、ネルフの目的。

 

使徒

 「知恵の実」と「生命の実=S²機関」。人類と使徒との戦いは「知恵の実」を持つ者(人類)と「生命の実」を持つ者(使徒)との生き残りをかけた戦い。「生命の実」というのは不老不死の肉体、魂のことで、人間の理=寿命、死から逸脱している。生命の実を手にできるのは恐らく他界し、天国や地獄と言われる世界に行って初めて手ににできるもの。ここで、キーを握るのはカヲルである。カヲルは人になりたかった使徒である。なので、シンジがいなければ永遠にループする輪廻におり、シンジの理解により、ようやくカヲルは輪廻から解放され、人としての人生を送ることができるようになった。

 

エヴァは母親からDNA解析によって作られたもの、その研究をしていたのが冬月であり、ゲンドウとユイはそのゼミ生だった。クローンの研究と考えられる。

なので、零号機はアダムから作られたプロトタイプ、初号機はユイ、弐号機はアスカ母、伍号機はトウジ母のプロトタイプ。言わずもがな、エヴァは母親から作られたもの。なので、エントリープラグ(母の胎内)に入ることができるのは、その子どもだけ。すなわち、箱根第3中学校に集められた他生徒も母親を喪失した子どもが集められている。これはゲンドウの指示によるもの。エヴァの個体を増やし、使徒と対決するため。恐らく、ケンスケや委員長にも母はいない。

 

・ATフィールドは「心のドア」、魂を消費する。心のドアを他人が無理やり開けようとすると心は壊れる。精神病の隠喩とも捉えることができる。

 

エヴァは母親からDNA解析で、作られたもの。「生命の実」であった。零号機は最初の人=アダムから作られており、その暴走の結果失敗し、ユイは命を落とすことになる。人が人を作ってはいけないという禁忌に触れたからであると推測できる。これが恐らくファーストインパクト。そこから、ゲンドウがユイの死を受け入れられずに作られたのがネルフであり、それを利用したのが死海文書を信じるゼーレである。エヴァ=イブとも考えることができる。

 

セカンドインパクトとは、人間の進化論を推奨する葛城博士(ミサトの父)と冬月の研究(人間のクローンを作る研究)の実験の最中に引き起こされた偶発的な世界の終末。これにより、世界の人口の半分が消滅した。

 

・同性愛、特に性行為について

シンジとカヲルの関係である。アスカとマリもそれにあたる。初期の段階でカヲルがシンジにキスをするシーンがあるが、それは恐らく隠喩である。同性愛自体が悪という訳ではなく、トランスジェンダーは実際に存在する。但し、キリスト教の教えからは禁忌とされており、神の怒りを買うとされている。これは宗教観の違いなので、多種多様な現代社会において、ここはあまり語りたくない部分なので、割愛する。一つだけ言わせてもらうのであれば、進化の過程において同性愛は重要であるということ。但し、誤った性行為をしてしまうとエイズウイルスに感染してしまう恐れがあるということは補足しておく。

 

・不倫について

ゲンドウと赤城母(マギシステム構築者)、リツコがこれにあたる。リツコ自身もゲンドウと関係を持ったという設定もあり、父親と関係を持ったことを後悔し、Air/まごころを君にでは頭を撃たれる。ゲンドウは人類補完計画=統べての遺伝子を同じにするために、あえてリツコと関係を持ったと推察できる。赤城母はユイの喪失から立ち直れないゲンドウを哀れに思っていた所もあり、厳密には不倫ではないのかもしれないが、ゲンドウの心はユイにあり、ユイを復活されるための儀式、手段として関係をもったと推測すると、心の不倫とも言えなくはない。これも禁忌だが、黒き月の世界では正しいとされる。種の保存から考えると、一夫多妻制の生物は絶滅する可能性が高いことが、最近の研究で証明され、一妻一夫制の生物が生き残る可能性が高いとされる。アダムとイブが楽園から追放されたのは「知恵の実=リンゴ」を食べたこともあり、その神話も物語に大きく影響している。

 

これらは、あくまで私の推測であり、異論はあると思います。私はシン・エヴァンゲリオンを観てこう感じたというものであり、主観なので、他解釈をして不快に思われたらすいません。

 

以上です。ありがとうございました。

 

 

シン・エヴァンゲリオンと私

「ネタバレ含みます。読みたくない方はスキップをお願いします」

 

シン・エヴァンゲリオンを観てきました。劇中で3回泣きました。

自分の魂が解放された感さえあります。これも含めて人類補完計画だとしたら、庵野監督お見事としか、言いようがない。劇中で全員が救われるとは…。凄まじいシナリオと伏線の回収。間違いなく、今年観てきた映画で一番いい。

 

私とエヴァの出会いは、大学生で深夜アニメ一気放送しているのを観てドはまりしました。

最初は綾波レイがめっちゃタイプで、一目ぼれに近いものがありました。

そんな不純なきっかけでした。この子可愛い、から始まってますから。

 

そのうちシンジに自分を重ね合わせるようになり、複雑怪奇なストーリー展開と主題歌の良さに夢中になりました。魂のルフラン残酷な天使のテーゼですね。世代ということもあり、友達にも好きな奴が多くて、あーでもない、こーでもないと議論した覚えがあります。

 

トウジが死んだと思った時は泣きましたし、自分が殺したんだ…とシンジの気持ちが流れ込んでくるものがありました。

 

なんと劇中ではトウジは生きていて、大人になり医者になっている。妹は医療班少佐…。

マヤも好きでした。それが、情報解析の責任者にまでなっているとは…。

 

正直、まごころを君に、序の終わり方は納得のいくものではありませんでした。アスカとシンジだけ生き残ってアダムとイブになる…だけど、アスカは気持ち悪いという。

 

この話は私が思うに、モラトリアムと近未来技術と、父親の壁と特に母親の喪失をどう乗り越えていくかという話なんでしょうね。それに聖書の情報をうまく乗せているものだから、話として面白いし、説得力がある。3すくみの関係(マギシステム=女、母、妻*所説あります)とか心理学的な要素をうまく盛り込みながらだから、尚更。そこに友情と裏切り、信頼とそれぞれの役割。絶望と希望、生と死、魂の輪廻という両側面の展開を見せていくもの、夢中になる要素だらけです。

 

ゲンドウとシンジがやりあうシーンは暴力的でしたが、暴力では何も解決しない、絆は破るものではなく、繋ぐもの(カセットテープを渡すシーンがそうなのでしょうね。あれは元々ゲンドウのでしたから)。だから、シンジは返したんでしょう。

 

レイはきっとシンジの妹的な存在だったんでしょうね。私も自分の子ができる時、男の子の名前と女の子の名前両方考えましたもの。レイはお兄ちゃんを守り続けた格好になり、最後はシンジがレイを守る。

 

アスカはおそらく初恋の相手、お互いに。だけど、思春期のすれ違いで、お互いにうまくはまらない。そして、失恋。それも二人は受け入れて、「あの時は好きだった。だから迎えにきた」というシンジの覚悟、責任、自分の気持ちにケリをつけるというのはそういうことだと思います。そして、別々の道を歩く。

 

カヲルは親友であり、一番の理解者。そして、妹の恋人。使徒でもあり、人でもあった。私は恐らく今の自分はカヲルになりたかったんだと思います。導く人、渚司令カッコよすぎます。

 

マリはアスカの親友でもあり、冬月教授の教え子。ここで、物語は動きはじめたんでしょうね。

カップルとしてにシンジとマリ、アスカとケンスケ、トウジと委員長、梶とミサトそして、希望の槍の名前がガイウス。

ロンギヌスの槍はDNA配列なんでしょう。同じDNAを配合すると、障害を持ちやすいという禁忌をゲンドウはやろうとしたんですね。要は近親相姦です。それで、人類を補完しようとした。全人類を同じDNAにしようとした。だから、繰り返されるインパクト。ここまでが恐らくゼーレのシナリオです。

 

最終的にマリで良かったと思います。それが納得できない方も多いでしょうが、父親と母親(ユイ)の知り合いであり、許嫁という立場だとしたら、理解できます。物語の途中から、でてきたのも可能性の進化という意味で納得です。

 

ともあれ、全員が幸せになってよかったと思います。完璧なシナリオと最後のシーンの美しさと庵野監督の絵コンテ…、色鉛筆画。そして宇多田ヒカルのbeautiful world(希望の歌)とONE LAST KISS(おそらくレクリエム)。

 

非常に完成度の高い映画でした。エヴァンゲリオンに関わった全ての人に感謝。

 

 

よつばと15巻の素晴らしさ

 

よつばと15巻がでた。およそ3年ぶりらしい。

この本の素晴らしさは語りつくせないんだけど、一つに帯が秀逸ということがある。

 

過去本の帯を見ても「毎日という宝箱を今日もあける。」「世界は見つけられるのを待っている。」「目の前には実物大の世界地図」とかエモイ。

 

そして今回の帯は「普通という奇跡」だ。

 

げに、今年はその普通が脅かされた年でもあった。いうまでもなく

COVID-19

である。こいつのせいで、日常が日常ではなくなり、当たり前が当たり前ではなくなった。緊急事態宣言は2回も発令され、テレワークでの働き方が推奨され、人々との会食は制限され、倒産、雇い止め、解雇、新卒採用見送り…。社会全体が窮屈になった気がした。

 

「普通という奇跡」。そうなのだ。普通は奇跡なのだ。

仕事柄思うこともある。昨日まで元気に会話していた方が夜間に急変し、そのまま帰らぬ人になってしまうケースは割と多い。一寸先は闇ではないが、当たり前に朝を迎えられる、目が覚めるというのは割と奇跡に近いのではないかと。

 

私が好きなBUMP OF CHICKENの「新世界」でも似たようなことを歌っている。

もう一度眠ったら 起きられないかも 今が輝くのは きっと そういう仕掛け
もう一度起きたら 君がいないかも 声を聞かせてよ”

 

だからこそ思う。当たり前の日々に感謝しようと。今日も目が覚めたことに感謝しようと。日々、接する家族や同僚、利用者さんに感謝しようと。

 

生きていてくれて、ありがとうと。普通であってくれて、ありがとうと。

それは奇跡みたいなものなんだよ、と。

 

 

 

この1年の変化

お題「#この1年の変化

 

ブログを1年書いてないですよー。元気ですかー?久しぶりにブログ更新してみませんかー?とはてなからメールが来たので、生真面目に書いてみる。

 

何でも、この1年の変化について書けばいいらしい。

 

…語りつくせん。

 

コロナウイルスがこんなに流行るとは思わなかった。

夏場でのマスク着用の入浴介助はマジで死ぬかと思った。

コロナウイルスのせいで、面会が制限され、行事もなくなり、利用者の皆さんはさぞ辛かろうと思う。ぶっちゃけ楽しみがない。レクをやるにしても、限界がある。節目節目のことができない施設というのがこんなにつまらないものだとは。

 

色々と社会が変化、変革を余儀なくされたと思う。気軽に友達や同僚と飲みに行くこともできなくなった。人にもよるが、愚痴をこぼせないので、ストレスはたまりやすくなった。

 

旅行・移動も制限・自粛され、美味しいものを食べることも制限・自粛され(みんなで美味しさを分かちあうという意味で)、みなさんは逆にどうやってストレスを緩和させているか聞きたいぐらいである。ゲームでCOM相手をボコボコにするぐらいか?私がやっていることなんて。

 

他にもありそうだけど、とりあえず生きてますよー、元気ですよーとアピってみる。

とりとめのない文ですいません。

 

介護の専門性について

凄く久しぶりに記事を更新します。何故なら、3連休初日だから。(明け換算すると4連休!)。

こんなの今までなかった。4つほど法人を変えている(転職している)けど、有給消化せずに自然に3連休なんてなかった。

 

勿論、業務はきつい。少ない最低限の人数で回している故に負荷はかかるし、求められることも多い。こういうとまた語弊があるかもしれないが、「専門性」は高い水準で、かつ当たり前のように求められる。ただ、間違った方向ではない思う。

 

では、「専門性」とは何か?私は介護に集中できること、と考えている。介護とは多岐に渉る。訪問介護で行っている買い物同行支援や調理、掃除、ごみ捨てなども介護に当てはまると思う。これは国の指針を確認されたし。

 

一般的に利用者の身体介護だけが、介護ではないとは思う。しかし、例えば入浴介護や食事介護、ベットから車いすの移乗介護(俗にいうトランス)、排泄介護、服薬介護は利用者の命に直結することだ。ここでのミスは許されない。

 

勝手に拝借して申し訳ないが、私はこの言葉が大好きなので貼らせて頂く。(あんともさんごめんなさい)

 

介護の専門性は命の価値を高めること。その通りだと思う。そして、付け加えさせてもらえるなら、介護を通じて命の価値を高めることに集中したいのだ。

 

そういう意味で弊社は沿っていると思う。可能な限り残業はさせず、残業が必要ならきちんと残業代を出す、休日は業界随一に多い。給料水準も悪くない。そして何より分業されているのだ。掃除、洗濯は外部に委託しているし、介助補助は一切利用者には触らない、移動や消毒、リネン交換、物品補充が主な仕事になる。

 

でも、それでいいのではとも思う。みんながみんな介護福祉士である必要はない。分業することで、やるべきことが明確化されるのは実際に介護にあたるものとして助かる。勿論、介護士になりたいという方には積極的に初任者研修や実務者研修に行かせる。それも業務の一部として。

 

転職して、正解かどうかは分からない。失ったものはきっといくつもある。少なくはない。元居た所には元居た所の良さがあったと思う。また、転職が必ずしも成功するとは限らない。さらにブラックな環境にいくこと、選択してしまうことだってある。利用者は選べないし、モンスターは実際にいる。

 

何が言いたいのかぶれてきたので、介護の専門性は「介護というフィルターを通して命の価値を高めること」という結論で締めたいと思う。

 

読んでくださってありがとうございました。

 

 

「病院でなく自宅や施設で最期」の地域差について

何はともあれ、2017-2-6の読売新聞TOP記事を読んでほしい。

 

病院でなく自宅や施設で最期を迎える割合に地域差…「看取り率」最大13倍 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

2017-2-6

2017/02/06 21:19

 

これさぁ、私の勝手な推測だけど「看取り率」って公表して、「看取りを増やそう」「看取りはいいことだ」っていうのを意識づけて、「やってない地域は悪だから、晒そう!」っていうのは、すごく乱暴な気がするんですよ。

 

なんでかっていうと、地域によっては手厚い看護をしてくれる評判の病院があって、そこで終生を迎えたいってとこだってあるだろうし、病院での死=看取りじゃないっていう決めつけがどうにも納得いかない。

 

看取りって大変なんです。訪問医療や訪問看護、ケアマネジャー、家族、施設だったら施設職員の献身的な介護があってはじめて成立するものなんです。昔は施設で亡くなったって言ったら警察がきて、実況見分から始まってたんですから。自宅でもそうですよね。基本、警察はきます。例えそれが病死でも。容態が急変した!→救急車!→病院で死亡が確認→医師による死亡診断書→役所に死亡届。これが普通の流れだと思いますよ。

 

それが、救急搬送されて病院じゃなくて、亡くなったのが夜中なら、朝、訪問医療の先生が来るまで待って、その先生が死亡診断書を書く。死因は持病なことが大抵。

 

訪問医療の体制が全く整ってきていないのに、看取りを増やそう計画は、厚労省の「病院がパンクして悲鳴あげてるから(またはそうなるのが予想されるから)、なるべく自宅や施設で死んでね☆」としか聞こえないんだよ!!家族と同居しているもしくは、施設に運よく入所できて看取ってくれる体制が整ってくれていればいい。独居老人どうすんだ?孤独死待ったなしでしょう。

 

と、わめいて見ましたが、この方向は変わらないし、変えられない。どうにもならない虚無感を抱きながら、今日はここまで。以上です。